熱田神宮⛩️の歴史 13
『あつた じんぐうの
れきし 13』
熱田神宮の
歴史紹介パネルを
あつた じんぐうの
れきし しょうかい
パネルを
順番に読んでいます。
じゅんばんに よんでいます。
今回は、その13枚目です。
こんかいは、その
じゅう さんまいめです。
熱田神宮 あつた じんぐう
https://www.atsutajingu.or.jp/
タイトル
『神話と歴史でたどる
熱田神宮千九百年の歴史』11
神話と歴史でたどる
しんわとれきしで たどる
熱田神宮
あつた じんぐう
千九百年の歴史 11
せん きゅうひゃくねんの
れきし じゅういち
【近世】 きんせい
安土桃山期(一)
あづち ももやま き
(いち)
※安土桃山時代
あづち ももやま じだい
(1573–1603)
織田信長
おだ のぶなが
(1534–1582)
本文 ほんぶん
1560年(永禄3年)
せん ごひゃく
ろくじゅうねん
(えいろく さんねん)
織田信長は
おだ のぶなが は
桶狭間の戦いに臨み、
おけはざまの
たたかいに のぞみ、
まず熱田神宮に
参拝し(て)
まず あつた じんぐうに
さんぱいし(て)
戦勝を祈願し、
せんしょうを きがんし、
見事今川義元を倒し
みごと
いまがわ よしもと
(1519–1560)を たおし
勝利しました。
しょうり しました。
この戦いには
このたたかいには
大宮司千秋季忠も
だいぐうじ
せんしゅう すえただ
(1534–1560)も
参戦しました。
さんせん しました。
******************
大宮司:大きい神社の
中で一番上の職員
だいぐうじ:
おおきい じんじゃの
なかで いちばん
うえの しょくいん
******************
境内の信長塀は
けいだいの
のぶながべいは
そのお礼に
寄進されたものです。
そのおれいに
きしんされた
ものです。
※信長塀 のぶながべい
戦国期の混乱で、
せんごくきの
こんらんで、
社殿の荒廃が
進んだものの、
しゃでんの こうはいが
すすんだものの、
織田信長・
おだ のぶなが
(1534–1582)
豊臣秀吉・
とよとみ ひでよし
(1537–1598)
徳川家康
とくがわ いえやす
(1543–1616)
の三英傑により、
の さんえいけつに
より、
当神宮の基盤が
確立されました。
とうじんぐうの
きばんが
かくりつ されました。
特に信長は
社殿の荒廃に心を痛め、
とくに のぶながは
しゃでんの こうはいに
こころをいため、
度々造営を命じています。
たびたび ぞうえいを
めいじています。
******************
岐阜駅前に黄金の
信長像があります。
ぎふ えきまえに
おうごんの
のぶながぞうが あります。
詳細は、こちらの記事に
まとめています。
しょうさいは、こちらの
きじに まとめています。
公開日 2025/08/02
更新日 2025/08/02