岐阜駅に行ってきました 2 織田信長像
岐阜駅に行ってきました。
ぎふえきに
いってきました。
今回は、岐阜駅前の
信長像の写真です。
こんかいは、ぎふえきまえの
のぶながぞうの しゃしん
です。
金色の織田信長像
きんいろの
おだ のぶなが ぞう
全体の高さ11m、
ぜんたいのたかさ
じゅういちメートル、
信長像の高さは3m。
のぶながぞうの
たかさは さんメートル。
拡大写真
かくだい しゃしん
「織 田 信 長 公」
おだ のぶなが こう
行書という、少し崩した
書体で書かれています。
ぎょうしょという、
すこしくずした しょたいで
かかれています。
銅像の下の記念碑です。
どうぞうのしたの
きねんひです。
この記念碑の日本語を
読んでみます。
このきねんひの
にほんごを よんでみます。
永禄十年(一五六七年)
えいろく じゅうねん
(せん ごひゃく
ろくじゅう しちねん)
「井の口」から「岐阜」へと
「いのくち」から「ぎふ」へと
地名を改めた織田信長公は、
ちめいをあらためた
おだ のぶなが こうは、
楽市楽座など、
新たな政策を取り入れ、
らくいち らくざなど、
あらたな せいさくを
とりいれ、
岐阜のまちの発展に
尽力しました。
ぎふの まちの はってんに
じんりょくしました。
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楽市楽座は、
らくいち らくざは、
誰でも自由に商売が
できるようにした
だれでも じゆうに
しょうばいが
できるようにした
当時の経済政策のこと。
とうじの
けいざい せいさくのこと。
中学や高校の日本史の
授業でも必ず習う、
ちゅうがくや こうこうの
にほんしの じゅぎょうでも
かならず ならう、
有名な政策です。
ゆうめいな せいさくです。
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マントを羽織り、
マントをはおり、
右手に種子島(鉄砲)、
みぎてに たねがしま
(てっぽう)、
左手に西洋兜を持ち、
ひだりてに
せいよう かぶとをもち、
まっすぐ前を見つめる
この像は、
まっすぐ まえをみつめる
このぞうは、
常に時代の最先端を歩き
つねに じだいの
さいせんたんを あるき
『変革』を目指した
『へんかく』をめざした
信長公の姿を象徴しており、
のぶなが こうの すがたを
しょうちょう しており、
都市再生を図る
とし さいせいをはかる
岐阜のまちの未来を
ぎふの まちの みらいを
表現するものと
なっています。
ひょうげんするものと
なっています。
平成二十一年(2009年)
へいせい
にじゅう いちねん
(にせん きゅうねん)
九月二十六日
くがつ にじゅう ろく にち
岐阜市 ぎふし
寄贈 きぞう
「信長公の銅像を贈る会」
のぶなが こうの
どうぞうを おくるかい
(市制一二〇周年記念)
しせい
ひゃく にじっしゅうねん
/にじゅっしゅうねん
きねん
製作 田畑 功
せいさく たばた いさお
※彫刻家 田畑 功
ちょうこくか たばた いさお
次の記事に続きます。
つぎのきじに つづきます。
公開日 2025/04/27
更新日 2025/05/03