熱田神宮⛩️の歴史 19
『あつた じんぐうの
れきし 19』
熱田神宮の
歴史紹介パネルを
あつた じんぐうの
れきし しょうかい
パネルを
順番に読んでいます。
じゅんばんに
よんでいます。
今回は、その
19枚目です。
こんかいは、その
じゅう きゅうまいめ
です。
熱田神宮
あつた じんぐう
https://www.atsutajingu.or.jp/
タイトル
『神話と歴史でたどる
熱田神宮
千九百年の歴史』17
神話と歴史でたどる
しんわと れきしで
たどる
熱田神宮
あつた じんぐう
千九百年の歴史 17
せん きゅうひゃく
ねんの れきし
じゅうなな
【近代】 きんだい
明治維新のころ
めいじ いしんの ころ
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明治維新
めいじ いしん
1800年代後半に
行われた
せん はっぴゃく
ねんだい こうはんに
おこなわれた
日本の近代化改革
にほんの きんだいか
かいかく
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本文 ほんぶん
1866年
せん はっぴゃく
ろくじゅう ろくねん
(慶応2年)の遷宮では、
(けいおう にねん)の
せんぐうでは、
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遷宮 せんぐう
神社の本殿を
造営・修理する時に、
じんじゃの ほんでんを
ぞうえい・しゅうり
するときに、
神様を新しい本殿に
移すこと。
かみさまを あたらしい
ほんでんに うつすこと。
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第121代孝明天皇は
だい ひゃく にじゅう
いちだい
こうめい てんのうは
「格別の御社柄」と
仰せられ、
「かくべつの
おんしゃがら」と
おおせられ、
弁官(行事役)が
遣わされて
べんかん
(ぎょうじ やく)が
つかわされて
斎行いたしました。
さいこう いたしました。
1868年
せん はっぴゃく
ろくじゅう はちねん
(明治元年)6月、
(めいじ がんねん)
ろくがつ、
第122代明治天皇は
だい ひゃく
にじゅう にだい
めいじ てんのうは
王政復古の奉告に、
おうせい ふっこの
ほうこくに、
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王政復古
おうせい ふっこ
武士による政治から、
ぶしによる せいじから、
天皇を中心とする
政治に戻すこと。
てんのうを
ちゅうしんと する
せいじに もどすこと。
日本では、1868年に
にほんでは、
せん はっぴゃく
ろくじゅう はちねんに
王政復古が
実現しました。
おうせい ふっこが
じつげん しました。
奉告 ほうこく
神様に物事を
報告すること
かみさまに ものごとを
ほうこく すること
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伊勢の神宮と
当神宮にだけ
いせの じんぐうと
とう じんぐうに だけ
勅使(天皇のお遣い)を
ちょくし
(てんのうの おつかい)を
御差遣になりました。
ごさけんに なりました。
※伊勢神宮
いせ じんぐう
天皇は同年9月27日、
てんのうは
どうねん くがつ
にじゅう しちにち、
当神宮ご参拝の後、
とう じんぐう
ごさんぱいの
あと/のち、
八丁畷
はっちょう なわて
(現在の瑞穂区
神穂通)の神田で
(げんざいの みずほく
かみほ とおり)の
しんでんで
農民が新穀を収穫する
様子をご覧になり、
のうみんが しんこくを
しゅうかくする
ようすを ごらんになり、
農は我が国の基である
ことを
のうは わがくにの
もとである ことを
お示しになられました。
おしめしに
なられました。
公開日 2025/10/20
更新日 2025/10/20




