熱田神宮⛩️の歴史 18

『あつた じんぐうの

れきし 18』

熱田神宮の

歴史紹介パネルを

あつた じんぐうの

れきし しょうかい

パネルを


順番に読んでいます。

じゅんばんに

よんでいます。


今回は、その

18枚目です。

こんかいは、その

じゅう はちまいめ

です。


熱田神宮

あつた じんぐう

https://www.atsutajingu.or.jp/


タイトル

『神話と歴史でたどる

熱田神宮

千九百年の歴史』16


神話と歴史でたどる

しんわと れきしで

たどる


熱田神宮

あつた じんぐう


千九百年の歴史 16

せん きゅうひゃく

ねんの れきし

じゅうろく


【近世】 きんせい

宮の宿

みやの しゅく


本文 ほんぶん

東海道五十三次

とうかいどう

ごじゅう さん つぎ


「宮の宿」から

「みやのしゅく」から


次の桑名宿へは、

つぎの

くわな しゅく/

くわな じゅくへは、


船で海上七里を

ふねで

かいじょう しちりを


渡海するものでした。

とかいする

ものでした。


******************

東海道五十三次

とうかいどう

ごじゅうさん つぎ


東海道は、

とうかいどうは、


江戸時代に整備された

えど じだい

(1603–1868)に

せいびされた


五街道の一つ。

ごかいどうの ひとつ。


五十三次は、

ごじゅうさん つぎは、


東海道にある53の

宿場です。

とうかいどうに ある

ごじゅうさんの

しゅくば(rest areas)です。


江戸時代の浮世絵師、

えど じだいの

うきよえし、


歌川 広重の作品が

うたがわ ひろしげ

(1797–1858)の

さくひんが


よく知られています。

よく しられて います。


歌川 広重

うたがわ ひろしげ

https://en.wikipedia.org/wiki/Hiroshige


東海道五十三次(浮世絵)

とうかいどう

ごじゅうさん つぎ

(うきよえ)

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Fifty-three_Stations_of_the_T%C5%8Dkaid%C5%8D

******************


宿場名の「宮」は

しゅくば めいの

「宮(みや)」は


当神宮が

とう じんぐうが


鎮座している

ことからの名前です。

ちんざ している

ことからの

なまえです。

大名の宿である

本陣は2軒、

だいみょうの

やどである

ほんじんは にけん、


一般の旅人の宿

である旅籠

いっぱんの

たびびとの やど

である はたごは


大小248軒、

だいしょう

にひゃく よんじゅう

はちけん、


1699年

せん ろっぴゃく

きゅうじゅう

きゅうねん


(元禄12年)では

(げんろく

じゅう にねん)では


人口が一万余人を

数える

じんこうが

いちまん よにんを

かぞえる


街道一の賑わいで

ありました。

かいどう いちの

にぎわいで ありました。

広重の絵は

ひろしげの えは

5月5日の祭礼に、

ごがつ いつかの

さいれいに、


熱田の町の人々が

あつたの まちの

ひとびとが


裸馬を仕立てて

はだかうまを

したてて


参拝する(馬の塔)

さまを

さんぱいする

(うまのとう)さまを


描いたものです。

えがいた ものです。


公開日 2025/10/13

更新日 2025/10/13


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