熱田神宮⛩️の歴史 15
『あつた じんぐうの
れきし 15』
熱田神宮の
歴史紹介パネルを
あつた じんぐうの
れきし しょうかい
パネルを
順番に読んでいます。
じゅんばんに よんでいます。
今回は、その15枚目です。
こんかいは、その
じゅう ごまいめです。
熱田神宮 あつた じんぐう
https://www.atsutajingu.or.jp/
タイトル
『神話と歴史でたどる
熱田神宮千九百年の歴史』13
神話と歴史でたどる
しんわとれきしで たどる
熱田神宮
あつた じんぐう
千九百年の歴史 13
せん きゅうひゃくねんの
れきし じゅうさん
【近世】 きんせい
江戸時代(一)
えど じだい(いち)
(1603–1868)
徳川家康
とくがわ いえやす
(1543–1616)
本文 ほんぶん
徳川家康は幼少のころ、
とくがわ いえやすは
ようしょうのころ、
熱田町の
加藤図書助宅に
あつたちょうの
かとう ずしょのすけ
(1514–1588)たくに
織田方の人質として
おだがたの ひとじち
として
3年ほど幽閉されて
いた事から、
さんねんほど ゆうへい
されていた ことから、
熱田には特別な
思いがありました。
あつたには とくべつな
おもいが ありました。
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織田方/織田家
おだがた/おだけ
戦国大名家の一つで、
せんごく
だいみょうけ
のひとつで、
戦国時代(1467–1590)に
せんごく じだいに
尾張地方(現在の愛知県)
を支配した、
おわり ちほう
(げんざいの あいちけん)
を しはいした、
織田信長が
特に有名。
おだ のぶなが
(1534–1582)が
とくに ゆうめい。
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1598年(慶長3年)
せん ごひゃく
きゅうじゅう はちねん
(けいちょう さんねん)
米五百石を寄進し、
こめ ごひゃっこくを
きしんし、
1600年(同5年)には
せん ろっぴゃくねん
(どう ごねん)には
本宮・
別宮八剣宮などの
ほんぐう・
べつぐう はっけんぐう
などの
社殿の修復造営を
命じています。
しゃでんの しゅうふく
ぞうえいを めいじて
います。
鎮皇門は
ちんこうもんは
加藤清正による造営です。
かとう きよまさ
(1562–1611)による
ぞうえいです。
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加藤清正
かとう きよまさ
(1562–1611)
尾張国(現在の愛知県)
出身。
おわりのくに
(げんざいの あいちけん)
しゅっしん。
肥後国(現在の熊本県)の
統治に力を尽くし、
ひごのくに(げんざいの
くまもとけん)の
とうちに ちからをつくし、
熊本城を築いたことで
くまもとじょうを
きづいたことで
有名な戦国武将です。
ゆうめいな
せんごく ぶしょうです。
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更に
さらに
1608年(同13年)の
せん ろっぴゃく
はちねん
(どう じゅう さんねん)の
尾張国の検地では、
おわりのくにの
けんちでは、
熱田町は神領地として
あつたちょうは
しんりょうち として
年貢や諸役などが
免除されました。
ねんぐや しょやくなどが
めんじょ されました。
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検地 けんち
農民から年貢(= 税)を
取るために、
のうみんから ねんぐ
(= ぜい)を とるために、
田畑の面積や収穫量を
たはたの めんせきや
しゅうかくりょうを
調査・測量すること。
ちょうさ・そくりょう
すること。
神領地:神社の所有地
しんりょうち:
じんじゃの
しょゆうち
諸役免除
しょやく めんじょ
諸役は、色々な税。
しょやくは、いろいろな
ぜい。
諸役免除は、
税をなくして
しょやく めんじょは、
ぜいを なくして
農民や町人の負担を
減らすこと。
のうみんや ちょうにんの
ふたんを へらすこと。
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公開日 2025/09/01
更新日 2025/09/01