熱田神宮⛩️の歴史 10
『あつた じんぐうの
れきし 10』
熱田神宮の
歴史紹介パネルを
あつた じんぐうの
れきし しょうかい
パネルを
順番に読んでいます。
じゅんばんに よんでいます。
今回は、その10枚目です。
こんかいは、
そのじゅうまいめです。
熱田神宮 あつた じんぐう
https://www.atsutajingu.or.jp/
用語の解説も、記事の
中に書いていきます。
ようごの かいせつも、
きじのなかに かいて
いきます。
タイトル
『神話と歴史でたどる
熱田神宮千九百年の歴史』8
神話と歴史でたどる
しんわとれきしで たどる
熱田神宮
あつた じんぐう
千九百年の歴史 8
せん きゅうひゃくねんの
れきし はち
【中世】 ちゅうせい
南北朝のころ
なんぼくちょうのころ
※南北朝時代
なんぼくちょう じだい
(1336–1392)
本文 ほんぶん
熱田大宮司は、
あつた だいぐうじは、
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大宮司:大きい神社の
中で一番上の職員
だいぐうじ:
おおきい じんじゃの
なかで いちばん
うえの しょくいん
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第96代後醍醐天皇の
だい きゅうじゅう ろくだい
ごだいご てんのう
(1288–1339)の
武臣として仕え、
ぶしんとして つかえ、
熱田大神の神威を背景に
あつたの おおかみの
しんいを はいけいに
その勢力を伸ばして
いました。
そのせいりょくを
のばしていました。
さらに、知多半島南端に
さらに、ちた はんとう
なんたんに
羽豆崎城を構えて、
はずさき じょうを
かまえて、
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知多半島は、愛知県の
南にあります。
ちた はんとうは、
あいちけんの みなみに
あります。
愛知県 あいちけん
※愛知県観光ガイド
あいちけん かんこう ガイド
知多半島
ちた はんとう
※知多半島観光ガイド
ちた はんとう
かんこうガイド
https://tabichita.com/******************
関東と近畿を結ぶ
かんとうと きんきを
むすぶ
海路の要路を押さえ、
かいろの ようろを
おさえ、
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関東 かんとう
近畿 きんき
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後醍醐天皇の皇子
ごだいご てんのうの
みこ/おうじ
宗良親王の
むねよし しんのう
(1311–1385)の
尾張から伊勢への
通行をも
おわりから いせへの
つうこうをも
手助けしています。
てだすけ しています。
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尾張:今の愛知県
おわり:いまの あいちけん
愛知県 あいちけん
伊勢:今の三重県
いせ:いまの みえけん
三重県 みえけん
※観光三重 かんこう みえ
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一方、足利尊氏は
いっぽう、
あしかが たかうじ
(1305–1358)は
先祖が熱田大宮司家に
せんぞが
あつた だいぐうじ けに
つながるという縁と、
つながるという
えんと、
神剣を祀る社(であること)
から、
みつるぎを まつる
やしろ(であること)
から、
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足利 尊氏は、
あしかが たかうじは、
日本史の教科書に
必ず出てくる
にほんしの きょうかしょに
かならず でてくる
有名な人物です。
ゆうめいな じんぶつです。
1338年、足利 尊氏は
せん さんびゃく
さんじゅう はちねん、
あしかが たかうじは
征夷大将軍になり、
せいい たいしょうぐん
になり、
京都に室町幕府を
開きました。
きょうとに
むろまち ばくふを
ひらきました。
幕府:武士が政治を行う
場所や仕組み
ばくふ:ぶしがせいじを
おこなう ばしょやしくみ
征夷大将軍:幕府の代表者
せいい たいしょうぐん:
ばくふの だいひょうしゃ
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1335年(建武2年)
せん さんびゃく
さんじゅう ごねん
(けんむ にねん)
権宮司田島氏に
ごんぐうじ たじましに
戦勝祈願を
依頼しています。
せんしょう きがんを
いらいしています。
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権宮司:大きい神社に
置かれる役職
ごんぐうじ:
おおきい じんじゃに
おかれる やくしょく
権は副という意味なので、
権(ごん)は副(ふく)という
いみなので、
権宮司は、会社の副社長に
相当します。
ごんぐうじは、かいしゃの
ふくしゃちょうに
そうとうします。
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公開日 2025/07/02
更新日 2025/07/02