熱田神宮⛩️の歴史 8
『あつた じんぐうの
れきし 8』
熱田神宮の
歴史紹介パネルを
あつた じんぐうの
れきし しょうかい
パネルを
順番に読んでいます。
じゅんばんに よんでいます。
今回は、その8枚目です。
こんかいは、
そのはちまいめです。
熱田神宮 あつた じんぐう
https://www.atsutajingu.or.jp/
タイトル
『神話と歴史でたどる
熱田神宮千九百年の歴史』6
神話と歴史でたどる
しんわとれきしで たどる
熱田神宮
あつた じんぐう
千九百年の歴史 6
せん きゅうひゃくねんの
れきし ろく
【古代】 こだい
平安時代後期
へいあん じだい
こうき
院政期のころ
いんせいきのころ
※平安時代
へいあん じだい(794–1185)
本文 ほんぶん
1179年(治承3年)、
せん ひゃく ななじゅう
きゅうねん
(じしょう/ちしょう
さんねん)
太政大臣
だいじょう だいじん/
だじょう だいじん
藤原師長は
ふじわら の もろなが
(1138–1192)は
平清盛により
たいら の きよもり
(1118–1181)により
都を追われ
みやこをおわれ
尾張国井戸田荘
(名古屋市瑞穂区)に来ました。
おわりのくに いどたそう
(なごやし みずほく)に
きました。
琵琶の名手であった
師長は、
びわのめいしゅであった
もろながは、
帰郷を願って
ききょうをねがって
熱田神宮の神前で
あつた じんぐうの
しんぜんで
秘曲の「流泉」などを
演奏したところ、
ひきょくの「りゅうせん」
などを えんそうした
ところ、
大神は感動され
おおかみは かんどうされ
社殿が揺れ動き、
しゃでんが ゆれうごき、
人々も感銘したと
いわれています。
ひとびとも かんめいしたと
いわれています。
そののち、師長は罪を
許され
そののち(後)、もろながは
つみをゆるされ
都に帰るとき、
みやこに かえるとき、
愛器白菊の琵琶を
当神宮に奉納し、
あいき しらぎくの
びわを とうじんぐうに
ほうのうし、
現在その写しの琵琶が
残されています。
げんざい そのうつしの
びわが のこされています。
公開日 2025/06/17
更新日 2025/06/18