熱田神宮⛩️の歴史 4
『あつた じんぐうの
れきし 4』
熱田神宮の
歴史紹介パネルを
あつた じんぐうの
れきし しょうかい
パネルを
順番に読んでいます。
じゅんばんに よんでいます。
今回は、その4枚目です。
こんかいは、
そのよんまいめです。
熱田神宮 あつた じんぐう
https://www.atsutajingu.or.jp/
タイトル
『神話と歴史でたどる
熱田神宮千九百年の歴史』2
神話と歴史でたどる
しんわとれきしで たどる
熱田神宮
あつた じんぐう
千九百年の歴史 2
せん きゅうひゃくねんの
れきし に
【創祀】ご鎮座
そうし ごちんざ
本文 ほんぶん
日本武尊は
東国を平定された後、
やまと たけるの みことは
とうごくを
へいてい されたあと、
尾張国に帰られ、
おわりの くにに
かえられ、
乎止与命の娘、
おとよの みことの
むすめ、
宮簀媛命を
妃とされました。
みやす ひめの みことを
きさきと されました。
※尾張国は、現在の
愛知県 名古屋市です。
おわりの くには、
げんざいの
あいちけん なごやしです。
名古屋市観光情報
なごやし かんこう じょうほう
尊は伊吹山の賊を
平定せよとの
みことは いぶきやまの
ぞくを へいていせよ
との
天皇の命を受け、
てんのうの めいをうけ、
草薙神剣を宮簀媛命の
もとに
くさなぎの みつるぎを
みやす ひめの みことの
もとに
留め置かれて出発、
とめおかれて しゅっぱつ、
伊吹山中で病に倒れ、
いぶき さんちゅうで
やまいにたおれ、
都へ帰る途中
みやこへかえる とちゅう
伊勢国 能褒野(亀山市)で
亡くなられました。
いせのくに のぼの
(かめやまし)で
なくなられました。
※伊勢国は、
現在の三重県です。
いせの くには、
げんざいの みえけんです。
(三重県)亀山市観光協会
(みえけん)かめやまし
かんこう きょうかい
宮簀媛命は託された
草薙神剣を
みやす ひめの みことは
たくされた
くさなぎの みつるぎを
尾張氏一族の
祭場としていた
おわりし いちぞくの
さいじょうとしていた
熱田の地にお祀り
しました。
あつたのちに おまつり
しました。
これが熱田神宮の
はじまりです。
これが
あつた じんぐうの
はじまりです。
113年
ひゃく じゅう さんねん
(景行天皇43年)の
ことです。
(けいこう てんのう
よんじゅう さんねん)
のことです。
公開日 2025/05/11
更新日 2025/06/18